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私の夢「がんばれがんばれ」

私の夢は、パラリンピックの車いす陸上選手になる事です。この夢をもったきっかけは、小学校四年生の時に車いす陸上教室に参加したことです。

私は小学校三年生の夏安井にケガをして、車いす生活になりました。それまで、水泳・ダンス・アイススケートを習い、身体を動かす事が大好きでした。しかし、車いすではもうスポーツは出来ないとあきらめていました。そんな時、母が区主催の【車いす陸上教室】がある事を見つけてきてくれました。期待を胸に参加し、そこで【レーサー】という競技用の車いすに乗りました。日常用の車いすに比べ、座る所が低くて狭くて、前傾姿勢になるため、これで走れるのか心配でした。しかし、実際にこいでみると思っていたより軽くこげました。二回三回とこぐと、どんどんスピードがでます。早くこぐともっともっとスピードを上げて進みます。私は楽しくなって何回も何回もこぎました。車いすでもこんなに楽しい事があるのだと、うれしくなりました。それからは、月一回の陸上教室が待ち遠しくなりました。

中学生になってからは、国や都の発掘事業にも参加しました。国の発掘事業では、日々の練習・合宿での練習、アンチドーピング・栄養指導など普通だったら受けられないような指導を受けました。

東京パラリンピックに出場が内定している方と同じトラックで走った時には、あまりの速さに驚きました。それと同時に私もパラリンピックに出場したいと思いました。

その夢を叶えるために練習・筋力トレーニング・大会出場、食事管理など様々な努力を重ね、まず強化育成指定選手になり、ジュニア選手権、アジアパラリンピック・世界選手権出場を目標とし、2028年ロサンゼルスパラリンピック、2032年ブリスベンパラリンピック出場を目指します。日本では、まだまだパラリンピックの知名度が低いです。オリンピックと同じくらいメディアに注目され、もっともっと多くの方々に、感動や素晴らしさ、楽しさがある事を知ってもらえるような大会になる事を望み、そうなるように私も協力したいです。そして自分がそうしてもらったように、障がいがある子供達がスポーツに関わるきっかけを作ったり、教えたりできるようになりたいです。

最後に私の家族についてです。

母は本当のお母さんではありません。本当は、おばあちゃんです。いろいろな事があり私と妹を一人で育ててくれています。保護者会に行くと「大丈夫大丈夫(おばあちゃんて)バレてない!(他の保護者と)なじんでいた!」と喜んで帰ってきます。ところが、練習や合宿の付き添いなどに行くと、「おばあちゃんがから疲れた」と都合よく使い分けます。そんな明るくて面白い母です。

そして母の息子、私の叔父であり、戸籍上の兄は、生まれつき脊髄に障がいがあり、車いすです。兄は私が産まれる前から車いす陸上の選手でした。母に連れられ、何度も大会に「がんばれ!がんばれ!」と応援に行った記憶があります。幼かった私は、大会の事を【がんばれがんばれ】と呼んでいました。まさか自分が【がんばれがんばれ】に出る事になるとは思いませんでしたが、車いす陸上を始めて、新幹線や飛行機に乗って大会や合宿に参加し、たくさんの友達や先輩ができました。

「ケガをしたことは不運だったけれど、決して不幸ではない」

と母は言います。今ではその言葉の意味が少しずつですが、分かってきました。ケガをしていなかったら、こんあにも大きな夢を持つ事も、こんな経験をすることも出来ませんでした。母がお母さんでなかったら、こんな風に考えられなかったと思います。

もし、東京パラリンピック出場最年長選手の年齢まで現役で勝つy区できたら、10回パラリンピックに出場できるチャンスがあります。私を支え続けてくれる母に、健康で長生きしてもらい、その全ての大会に「がんばれ!がんばれ!」と応援に来てもらいたいと思っています。この大きな夢に向かって一歩一歩進み、障がい者スポーツを広めたいと思います。

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